「単一文化、単一民族」:外国人お断り

 人口と労働力が減少しているにもかかわらず、日本は移民や難民の受け入れに冷淡である。

ジェフリー・ヨーク
2007年10月9日 Globe & Mail

 東京―デニズ・ドーガンさんは、生まれ故郷のトルコの村で、長年差別と迫害を受けてきた。デニズさんは少数派のアレビ派の代表として政治的な活動をしていたため、二度投獄されたのだった。デニズさんは、平和で寛容に見える国―日本―に逃れることを決意した。
 それから7年が経ち、デニズさんは語る。日本は自分が逃げてきた国よりも不自由だった、と。かつて、デニズさんは、ただ食べるためだけに不法労働をしなくてはならなかった。ほとんど毎日のように、警官に呼び止められ、書類をチェックされた。強制送還の恐怖に怯え、尋問に苦しみ、ほぼ20カ月にわたって収容された。あまりの絶望から自殺することさえ考えたという。
 デニズさんの兄一家は、デニズさんよりも長い間、日本で暮らすために戦ってきたが、結局は諦めてカナダに難民申請せざるをえなかった。そして、一家はすぐにカナダに受け入れられた。
 「私たちは日本のことを非常に平和で民主的な国だと思っていました」と、ドーガンさんは言う。
 「トルコにいたときよりも日本にいるときの方が不自由であると思い知ったときは、本当にショックでした。私たちは、日本に来ようとしたこと以外、何も悪いことはしていません。それなのに、私たちはまるで犯罪者のように扱われたのです。まるで虫けらのように」
 日本は経済的に豊かな民主主義国家ではあるけれど、難民と移民に対しては世界で最も不寛容な政策を取っている。たとえ労働力不足と人口減少に悩んでいるとしても、日本政府は外国人の受け入れ策にほとんど何の関心も示していない。
 1982年から2004年にかけて、日本が受け入れた難民はわずか313人―難民申請者の10%未満―である。2004年には法律がややリベラル化したが、それでも翌年の難民認定数は46人にすぎない。昨年は、申請者954人中、わずか34人が認定された。
 日本の難民認定数はカナダとは比較にもならない。カナダは、日本よりもはるかに人口が少ないが、昨年は4万2000人の難民を受け入れたのだから。
 けれども、日本の難民認定数は、フランスやイタリアといった欧州諸国と比べても、はるかに少ない。国連によると、国民一人当たり換算の日本の難民受け入れ数は、世界139位である。
 移民に対する日本の政策も閉鎖的である。日本は、工業国の中で最も移民受け入れ率の低い国の一つ。人口に対する外国出身者の割合は、カナダ19%、英国9%に対して、日本はたった1%にすぎない。
 ところが、皮肉なことに、日本はたいていの国よりも、よほど移民を受け入れる必要性に迫られている。出生率が急激に減少しているため、日本の人口は平時のどの国にも先例を見ないほど減少しつつある。最新の予測によると、現在1億2700万人の人口は、2050年には9500万人にまで減少するという。
 高齢化も急速に進んでいる。今世紀の半ばには、人口の約40%が65歳以上になり、国を支える労働力は急速に減少する。
 人口減少問題は、最近の日本で最も熱心に討議され、懸念されている問題の一つである。けれども、移民を大量に受け入れるという明白な解決策は、ほとんど省みられていない。外国人に対する厳しい規制が改められることもない。ある政府の委員会は、外国人を人口の3%以内に抑えるよう提言している。
 移民と難民に対する日本の敵意の大半は、外国人に対する偏見の産物である。日本人は、日本で起こるたいていの犯罪の責任を外国人に押しつけている。無知も蔓延している。ある調査によると、日本人の90%以上は普段外国人と接することがなく、40%以上は外国人を見ることさえめったにないという。
 政治家は、日本民族の同一性が失われることを望んでいない。彼らの信念を典型的に示しているのが、自民党幹部・元外相の麻生太郎である。麻生は「単一文化と単一民族」という表現で日本を表した。日本政府は、人種差別に反対する法律の可決を拒み、日本は人種差別が合法である数少ない工業国の一つになっている。
 「日本人は、外国人住民の業績を賞賛したり、外国人住民を友人や同僚として温かく受け入れたりすることは、あまりないようだ」と、東京入国管理局・前局長の坂中英徳氏は言う。坂中氏は、35年間日本の入国管理制度に携わり、現在は日本移民政策機構の代表を務めている。
 「純粋な日本人は1000年近く単一民族として暮らしているため、日本人が他の民族集団と友好的な関係を築くのは難しいだろう」と、坂中氏は近著『入管戦記』で主張している。
 こうした姿勢が、日本に入国しようとする外国人に対する厳しい規制システムを形成してきた。例えば、最新の法律では、外国人は入国する際に指紋を取られることになっている。日本の難民法は極めて厳しいため、難民認定を勝ち取るために10年以上かかることも珍しくない。さらに、日本政府が法廷の判決に従わないこともしばしばある。何百人もの難民申請者は、努力が何年も報われないと、失望のあまり難民申請を取り消してしまう。
 国連の最新の報告書によると、日本は難民申請者に「異常に高い立証基準」を要求しているという。難民申請者は、自己の主張を裏づける証拠となる書類を提出しなければならない。例えば、それには出身国で出された逮捕状などがあるが、そんなものを提出するのは不可能である。さらに、申請者自身が、費用と手間をかけて、そうした書類を日本語に訳さなければならないこともしばしばである。そして、ようやくのことで書類を提出すると、書類は無効である言われて、突き返されることさえ珍しくない。
 元国連難民高等弁務官緒方貞子氏は、最近の日本の新聞のインタビューに答えて、 「あまりにも法律主義的な対応で、難民として逃れてきた人たちに対する人道的配慮の欠片もありません」と、述べている。
 「日本の政府高官の視点から見ている限り、物事はよくなりません」
 難民申請者は、自らの難民性を証明しようとしている最中に、警察に取り調べを受け、収容所―刑務所の別名―に拘禁されることもしばしばである。収容されないとしても、難民申請者は合法的に働くことができず、辛うじて生きていくことができるにすぎない、ごくわずかの配給だけで暮らしていかなければならない。
 2005年に起こった悪名高い事件では、日本政府は、国連がマンデート難民に認定したクルド人男性2人を強制送還した。国連は強制送還に抗議し、日本が国際的な義務を放棄したと批判した。
 日本難民支援協会の現事務総長の石川えりさんは、「難民申請者に対して日本で申請をするように勧めることには、正直戸惑いがあります」と言う。
 「就労許可は下りませんが、彼らは生きていかなければなりません。ですから、違法に働かざるをえないのです」
 日本における難民政策の最も不気味な点の一つは、日本政府が難民申請者の故郷に公的な事実調査団を派遣し、地元の警察や軍隊とともに調査をすることである。これは、地元当局が、難民申請者を迫害した張本人である場合でさえ変わらない。
 石川さんは述べる。「これは私たちにとって本当にショックなことです。政府の調査によって、彼らの家族が危険にさらされるのですから」
 例えば、デニズ・ドーガンさん兄弟のケースでも、日本の調査団は、地元警察の協力を得て、兄弟の故郷を訪ねている。そのため、家族は驚愕し、怯え切ってしまった。調査団の訪問後、一家には警察から執拗に電話が掛かってきた。「私たちの人権は冒涜され、侵害されました」とデニズさんは言う。
 ドーガンさんの弁護士の大橋毅さんは、日本の難民申請手続きがあまりにも長引くことは、難民申請者にとって「精神的な拷問」になっていると語る。
 「政府は難民の受け入れに関してあまりにも消極的です。外国人を受け入れすぎてしまうと、社会不安と犯罪が増加することを政府は懸念しているのです」
 11年間難民問題に携わってきた大橋弁護士は、難民申請手続きは、日本の外交目的と密接に関連していると語る。例えば、日本は中国やトルコといった国々とは友好的な関係を維持しようとしているため、そうした国からの難民はほとんど受け入れないのだという。
 トルコから逃れてきた何百人ものクルド人は、近年日本で難民申請を行なっているが、難民認定は一件も出ていない。
 35歳のクルド人活動家であり、政治活動を理由に故郷で警官と兵士に繰り返し拘束され、生命の危機を感じてトルコから逃れてきた、キリルさんのケースを考えてみよう。
 キリルさんは1997年に日本に入国し、2年間不法滞在をした後、難民申請を行なった。難民申請は二度却下され、現在は三度目の申請を裁判所に対して行なっている。その過程で、キリルさんは8カ月もの間収容センターに入れられた。キリルさんは、生計を成り立たせるため、肉体労働や、ビルの解体作業、アスベストの除去といった不法労働をしている。仕事は汚く、危険なものである。難民申請者でもなければ誰も進んでやろうとしないような仕事だ。
 キリルさんは、不法労働をしているため、いつ逮捕されてもおかしくない状態だ。「いつも緊張しています。最悪なのはいつ何が起こるか解らないことです。日本に来て10年間頑張りましたが、何の結果も出ていません。私は、病気になったときに病院に行くことさえできないのです。毎日が牢獄の中にいるようです」と、キリルさんは言う。
 多くの点で、キリルさんは日本を選んだことを後悔しているという。「ですが、私は日本のシステムを変えるために戦っていきたいです。最後まで戦いたいのです」
 デニズ・ドーガンさん兄弟も、こうした状況に苦しみ、深い失望から、2004年に東京の国連大学前で72日間の座り込みを行なった。そして、座り込みによっても日本政府を変えることができないと解ったとき、デニズさんの兄はカナダに移住する決心をした。
 今年の夏に、デニズさんはようやく1年間の在留特別許可を得たが、それはデニズさんが日本人の女性と結婚したからだったにすぎない。
 「私のビザはいつ取り消されるかも解りません。不安でいっぱいです。けれど、他の難民たちはもっとひどい状況に置かれています。私たちが欲しいものは一つ、自由です」と、デニズさんは語る。

日本に留まるための戦い

 ミャンマー出身の政治活動家であるウィン・ソエさんは、日本の難民システムで生き残ることがどれほど困難であるかということを、身をもって理解している。
 難民として逃れてくる前に、ミャンマー軍事政権に反対する活動に携わっていたため、ウィンさんは故国に戻れば拷問を受けることになる。ウィンさんは日本で難民申請をしたが、政府は4年間で2度、申請を却下した。
 難民申請者の大半は、生きていくために不法労働をすることになる。けれども、ウィンさんは法律を頑なに守ろうとして、政府から月々支給される760ドルだけで生活をしようとしている。
 大半は家賃と電気代、雑費、交通代に消えてしまい、一月の食費は90ドルしか残らない。物価の高い日本では生きていくこともままならない。
 ウィンさんは服や靴を買い換えることもできず、高熱を出したときに薬を買うことさえできない。一日の食事は二回で、慢性的な飢餓状態が続くこともしばしばある。
 「お米を買えないときさえあります。普段はパンとジャガイモ、バナナを食べています。法律に違反しないよう、いつも気をつけています」
 ウィンさんは、配給がこれほど少ないのは、難民申請者に申請を取り消させようと政府が圧力をかけているためだと考えている。「日本政府は私を諦めさせようとしてますが、私は諦めません」

ジェフリー・ヨーク

日本の閉ざされた扉

 日本は経済的に豊かな民主主義国家だが、外国人の受け入れに関しては極めて閉鎖的である。

各国における外国出身者の割合

オーストラリア:23%
カナダ:19%
ニュージーランド:19%
米国:13%
ドイツ:13%
スウェーデン:12%
フランス:11%
ベルギー:11%
英国:9%
イタリア:4%
韓国:1%
日本:1%

出典:国連/OECD統計(2004-2005年)

原文: http://www.theglobeandmail.com/servlet/story/LAC.20071009.JAPAN09/TPStory/TPInternational/Asia/