ロシア政府、チェチェン人からの三件の訴訟(欧州人権裁判所)で敗訴

原文: http://groups.yahoo.com/group/chechnya-sl/message/54093
2007年11月15日(木)

 本日、欧州人権裁判所は、チェチェン人を原告とする三件の訴訟について、失踪と超法規的処刑、不法占拠および財産権の侵害を理由に、ロシア政府を批判した。ロシア司法イニシアチブが発表した。 「こんなによい判決が出るなんて思ってもみませんでした」と、ハミラ・イサーエワ―ロシア国家を訴えていた原告―は語った。「とても言葉にできません」
 ハミラの夫―スルタン・イサーエフ―は、2001年4月29日、アルハン・カラの村で「掃討作戦」中にロシア軍に拘束された。
 ロシア軍がスルタンを装甲車(APC)で連行したことは、複数の人々が目撃していた。
 それ以降スルタンは消息不明になった。
 ロシア当局はスルタンの失踪事件について刑事調査を始めたが、何の成果も上がらなかった。
 欧州人権裁判所は満場一致で以下の判決を出した。
 ・ロシア当局は違法にスルタン・イサーエフを拘束した(欧州人権条約第五条に違反)。
 ・拘束された状況と拘束時から長期間を経ていることを考えると、スルタン・イサーエフはすでに死亡したと考えられ、ロシア当局は彼の死に責任を負っている(第二条に違反)。
 ・ロシア当局は、訴えが起こされた際に、スルタン・イサーエフに対する違法な拘束と失踪について適切な調査を行わなかった(第二条に違反)。
 ・ロシア当局がハミラに対して無関心であることは非人道的であり(第三条に違反)、ハミラには暴力に対する効果的な救済手段が与えられなかった(第十三条)。
 欧州人権裁判所は、とりわけ当局による調査が効果をもたらさなかったことを批判し、「訳のわからない理由によって、最も不可欠な任務がなおざりにされていた」と非難した。
 裁判所は、当局が証言者たちにまったく質問をせず、掃討作戦に直接参加していた兵士を誰一人尋問せず、当局が作戦に参加した部隊を特定しようとさえしなかったことを、はっきりと指摘した。
 ロシア政府は、問題の掃討作戦がその日その場所で行われたことは認めているが、ロシア軍兵士がスルタン・イサーエフを拘束した証拠はないと法廷で主張していた。当時、掃討作戦はロシアのメディアで輝かしい作戦として賞賛されていた。
 本日、チェチェンについての二番目の訴訟―クカーエフ対ロシア―でも、裁判所は、アスランベック・クカーエフ―2000年11月26日にロシア軍に拘束されたチェチェン人警官―の違法な拘束と失踪、その後の死に対してロシア政府が責任を負うという判決を下した。
 ハミラ・イサーエフ対ロシアの裁判と同様に、裁判所は、捜査がなおざりにされていたことを特に批判し、「クカーエフの死についての捜査が2005年12月 22日になってようやく開始されたことは理解に苦しむ」と述べた。クカーエフの遺体は2001年4月22日に発見されていた。
 ハミラ・イサーエフ対ロシアの裁判でもクカーエフ対ロシアの裁判でも、裁判所はロシア政府が法廷に非協力的であることによって欧州人権条約に違反していると指摘した(第三十八条)。
 再三の要求にもかかわらず、ロシア当局は、どちらの裁判に関しても、裁判所に事件の捜査ファイルのコピーを提出することを拒んでいた。
 「ロシア政府は相変わらずチェチェン人からの訴えについて裁判所に重要な書類を提出することを拒否し、裁判所の任務を妨害しています」とオレ・ソルヴァン ―ロシア司法イニシアチブ(ハミラ・イサーエワの欧州人権裁判所への提訴を支援した団体)の事務局長―は言う。「裁判所がロシア政府に対して書類を提出するよう圧力を強めてくれていることを嬉しく思います」
 ハミドフ対ロシアの裁判では、裁判所は、警察がハンタビ・ハミドフの財産を差し押さえ、損害を与えたことで、ロシア当局が彼の私生活に対する権利(第八条)と財産権(第八条第一項)を侵害したという判決を下した。
 さらに、裁判所は、ハミドフが自らの財産に対する不法な差し押さえと損害について補償を求めようとした際に、公正な裁判を求める権利が侵害されたと指摘した(第六条)。
 ハミラ・イサーエフが欧州人権裁判所に提訴するのを支援したのは、ロシア司法イニシアチブという団体だった。クカーエフ対ロシアとハミドフ対ロシアの裁判を支えたのは、人権センター「メモリアル」と欧州人権提言センターである。

 詳細はこちら:
 ロシア・モスクワ:オレ・ソルヴァン +7 905 527 5978
 ロシア・ナズラン:アルセン・サカロフ +7 906 486 0753